世の中には、事業承継を成功に導くための手法や事例は多く紹介されていますが、一方で失敗事例を参照できる例は少ないのではないでしょうか。
しかし、私がこれまでに数多くの事業承継を見てきたなかには、これは失敗であろうという事例があるのも事実です。
そこで、こうした事業承継の失敗事例もご紹介していきたいと思います。
ただ、生々しい事例であるだけに、企業の業種や規模、詳細事項については必要に応じて脚色していることをご承知おき頂けると幸いです。
承継失敗事例は、ある生活雑貨の製造業を営んでいた従業員数35名ほどの中小企業です。
二代目社長である父(70歳)とその息子であり後継者の専務(43歳)、専務の妻(46歳)が経営に携わっていました。
この会社も業歴が35年ほどになると、自社製品が世間のニーズに応えきれなくなっており、業況不振に陥りかけていました。
生産性を高めるためには、1億円ほどの大型設備投資を行う必要に迫られていました。
しかしこの会社、社長と後継者の不仲が深刻でした。
後継者が会社の経営改善のための経費削減や人材教育、販路開拓などを進める改善案を立案してもことごとく却下されてしまうのでした。
その間を辛うじて後継者の妻がとりもっていました。
そうかと言って、社長からは明確な経営改善策や実行がなされるわけでもなく、業況は益々悪化し、取引金融機関からは経営改善計画の策定を求められるようになりました。
私も一緒になって金融機関との会議に加わり、社長と後継者、後継者妻、金融機関との経営改善策検討会を何度も開きました。
その検討会での展開も、様々な経営改善策を後継者と後継者妻が示すものの、社長がことごとく却下し何事も決まらず、実行もされません。
金融機関と私の共通見解は、後継者の改善案を実行するためには、まずは社長交代ということで一致していました。
そしてその方向性を社長に示したところ、社長は社長交代を一旦は認めてくれたのですが、その後二転三転し、また何も進みません。
そのような時に事件が起こりました。
社長が設備の間に挟まれて大けがを負ってしまったのです。
親子間の不仲を知っていた近隣の人達からは「専務が社長をケガさせたのではないか。」という噂まで飛び交う始末でした。
重症を負いながらも辛うじて一命を取り留めた社長は長期入院となりました。
そうした状況が事態をさらにややこしくさせてしまいました。
後継者の姉妹が社長を擁護し、入院先の病院まで遠方に変えてしまったのです。
その背景には、社長の自宅をはじめとした個人資産を巡る兄弟間の思惑までもが動き始めていたのです。
後継者の改善案の一つとして、社長と後継者が同居する自宅の土地建物の売却と、その資金による負債圧縮までが含まれていました。
それを阻止しようとする社長と姉妹に対して、会社をなんとかして守りたい後継者と後継者妻、という対立構造が出来上がってしまいました。
お互いに弁護士を入れて親族間の争いにまで発展しました。
経営を立て直すという急務があるにもかかわらず。
それから間もなくして資金繰りに行き詰まり倒産してしまいました。
もし時間を巻き戻せたとしたら、どのような手を打てただろうか?と今でも時々考えされられる案件です。
この会社の場合でも、やっぱり感情論ではなく、親子の意見相違を上手に統合させられていれば、と思わずにいられません。
そして、社長が私利私欲ではなく、会社と後継者と従業員の将来をもっと真剣に考えてくれていたら、と思うのです。
人生の終盤になって事業承継で揉め、親族の絆がバラバラになる社長の顛末はとても不幸なものです。
この事例企業のように、親子間、親族間の不仲が深刻になる前に、何かしらの手を打つことの必要性を私も痛感した事例です。
自社の業況が悪化し、急いで何かしらの手を打たなければならない状況下で、身内の争いをしている場合ではありません。
対外的な脅威に立ち向かうには、身内が一枚岩になる必要があるのに、それができなかったことが招いた不幸・・・、いや起こるべくして起こった必然と言えます。
そうならないためには、先述したように「感情論になる前に、親子や身内での意見統合」が必要になるのです。